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決して譲れないぜ この美学 ナニモノにも媚びず 己を磨く
素晴しき ロクデナシたちだけに 届く轟く ベースの果てに
見た 揺るぎない 俺の美学 ナニモノにも媚びず 己を磨く
素晴しき ロクデナシたちだけに 届く 轟く ベースの如く
ヒップホップは自己愛に満ちた音楽である。こんな俺だけどカッケーベ!といったある種の開き直り、そこに痛快さがある歌詞世界。ある意味これは自己肯定の音楽なのである。ニューヨークのゲトーの住人たちのメンタリティが世界に飛び火してヒップホップはでかくなっていった。それが正しかろうが正しくなかろうが、俺はこうだと言い切る強さ。そこにこの音楽の根源があるのだろう。つまり揺るぎない意志を持ってヒップホップは作られるべきなのだ。そこで彼らが戦ったのは自分たち自身であっただろうことは疑う余地もない。さっき彼らはどん底から這い上がってきたと言ったが、その正に「どん底」な時代に意地の悪い人間はよくこう言ったものだ。「なんで日本人がラップする必要あんの?」と。「あれは黒人の文化でしょ」と。これは高校生だった当時の俺自身も何度となくまわりに言われたことだった。屈辱だったが無理もない、なぜなら小さかった当時のシーンの外の人間たちには日本語でのラップの仕方さえ想像できなかっただろうから。そしてその意義もわからなかったに違いない。「ラップなんてノリ一発のものでしょ、それが出来るのはリズム感のいい黒人だからでしょ」などという今考えれば人種問題とも取られかねないような極論がまかり通り、それは同時に世間の大多数の意見だった。それを長い年月をかけて先人たちが一歩一歩わからせてきたのだ。「日本人だってラップしたい!」「日本人だってラップ出来る!」「日本人だってラップする意味と意義がある!」これは本当に今の若者には想像つかない心境なんじゃないだろうか。今の日本に「ヒップホップ」が根付いたのかはわからない、だが日本人がラップ出来ることは今の若者なら誰でも知っている当たり前のことなのだから。
その「当たり前」を作ったのがさんぴん世代とそれ以前のパイオニアたちなのだ。ヒップホップを生きることはこの国ではもともとリスキーなことであったのだ。金にもならない、女にもモテない、理解すらされない。だが彼らはマイクを置かなかった。ただただラップがしたかったのだ、狂おしいほどに。そこに見返りを持とうとしたなら続けられるわけがなかった。そんな時代があったのだ。そのことをシーンの住人たちは忘れてはいけない。そしてもちろんライムスターがそれを忘れるわけがなかった。その昔マイクロフォンペイジャーが提示したのはニューヨークのヒップホップのライフスタイルだった。その歌詞世界も向こうのシーンに影響を受けたものだったし、そこがクールでスタイリッシュな理由だったわけだ。だが一方ライムスは音楽性は確かにどこまでもヒップホップだったが、その歌詞世界はペイジャーとは対極にどこまでも泥臭い日本人独自の感性に満ちていた。彼らは東京をニューヨークに見立てて歌詞を書くことが出来なかった、なぜならそれは幻想であるからだ。USのヒップホップを聴きながらも俺たちは米と納豆を食うのだ。チキン&ワッフルではなく。欧米か!否、ここは日本である。つまり彼らは「アメリカ的である」ことを初めから諦めていたし、そこからでないとオリジナルな何かなど生まれるはずもないと思っていたのだろう。
では「アメリカ的」な美学を歌詞から排除し、日本人であることを肯定した上でどうヒップホップを説明するのか。それが彼らの命題であった。彼らは英語が話せる一部のラッパーとは違い、この国の大多数の日本人と同じく日本的であった。欧米人じゃない、ゲトー出身でもない、不良だったわけでもない。じゃあ何に惹かれた?ヒップホップの何が自分たちをここまで突き動かした?そこを提示したかったのだろう。そして彼らはそれが「メンタリティ」であることに行き着いた。アメリカのゲトーの住人たちがホワイトアメリカに対して持っていた劣等感がこの文化のパワーの源ならば、日本人が欧米人に対して持つ劣等感がパワーにならないわけがない。なんせ我々の国は敗戦国なのだ。だから陳腐な言葉だがやはりヒップホップは「勝ち上がり」や「下克上」を目指す文化なのだ。既存の価値観を、ゲームをひっくり返すこと。それを「何ものにも媚びず」成し遂げるために「己を磨く」こと。それこそがヒップホップがヒップホップ足る理由なのだとライムスは考えたのであろう。そしてその意思が固まり、音源として世に放たれたのは前作エゴトピアから三年以上が経過した98年だった。彼らはヒップホッパーのメンタリティを「Bボーイイズム」と呼び、それを曲名に掲げてついにシーンにカムバックしたのだ。前述のユウザロックによる「ヒップホップナイトフライト」の放送で俺は初めてその曲を聴き、ぶっ飛びまくって椅子から転げ落ちた。
ライムスターその伍。|DABO Official BLOG『PAPER MOON MAN』
イイ文章だ。
(via souchou) (via loopdrive) (via crakka)
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974:Trader@Live![sage] 2009/09/27(日) 02:02:16 ID:ST2pNcCZ
おばさんにはこの文章がわかりやすかったです
704:名無しさん@十周年 :2009/09/26(土) 18:16:29 ID:W5JfexwZ0 [sage]
私たち日本人は、この日本という国家と運命を共にする存在ですが、
外国人はそうではありません。
彼らは、いざとなれば帰るべき母国があるのです。
そのような人たちに国家・国民の命運を決定する参政権を付与するのは、
無責任な行いとしか言いようがありません。
日本に帰化することをしない、あるいは帰化を拒否した人間は
外国人として生きていくことを選択したわけであり、
そのような人間が 日本の参政権を持たないのは至極当然のことです。
「帰化はしたくないけど選挙権だけよこせ」というのは、
あまりにも日本人を 小馬鹿にした、失礼な考え方ではないでしょうか。
「帰化はしたくないがどうしても選挙に参加したい」というのであれば、
外国である日本ではなく、本国の選挙に参加あるいは参加できるようにして
祖国に貢献するべきです。
優秀なマンガ編集者であるほど「作家的性格」を帯びてくるので、サラリーマンの立場とは齟齬が出てくる。近年活躍しているマンガ原作者の樹林伸氏や長崎尚志氏は、それぞれ講談社・小学館のベテラン編集者であるが、いずれも担当作家のストーリー作りに日常的に関わっていくことで、サラリーマンを辞めて原作者として独立したケースだ。
編集者が原作者として独立した場合、その仕事は編集の延長にあることが多い。いわゆる「マンガ・プロデューサー」として活動するわけである。樹林氏・長崎氏は、作家の発掘と売り込み、原作、出版のすべての課程に関わるので、まさにプロデューサーである。彼らはベテラン社員編集であっただけに、産業としてのマンガを知り尽くしており、作家と出版社の間に立ったエージェントになり、作品のメディアミックスを含めた商品展開にも「作品の権利者」として主体的に関わることが可能となる。
こうした社員編集でも原作者でもないマンガ・プロデューサーの存在は、今後のマンガ産業の要となるはずである。
”
作品を、絵を描くこと自体が自分をさらけ出すことになるので、そのことが嫌な人は作品を創れない。これは日本のアニメの宿命のように思う。 実写なら主人公を客観的に評価して撮影してゆくことが比較的しやすいと思うが、アニメはいつも主観的な解釈に陥りやすいことの理由にもなっていると思う。
それに比べて、USAのアニメの、客観的なこと!
そこに憧れてはいるが、最近のジャパニメーションのもてはやされ方に逆行しているようで怖い。 USA的;客観的に正しい主張と、人間観察と、笑いと、計算された作品。
日本的;自分をさらけ出して、血反吐を吐いている計算では創れない作品。
”STUDIO4℃ A子の部屋 | 妄想のないやつにアニメは描けない!
この文脈で言うと…客観的に正しい主張(?)は兎も角として…日本のアニメももう少し計算で作っても良いと思う。
アニメーターが描くキャラクターデザインは基本的にその人に似てる。
たとえば、等身、顔、骨格、肉の付き方、ポーズ・・・
顔の大きい人は、等身が小さく、
えらの張った人は、四角い顔になりがちで、
手足の長い人は、手足が長く、
筋肉質の人は張りのある体を描き、
片足に重心を掛けて立つ癖のある人は、そう立っている。
アニメーターが描く動きや表情はさらにその人に似てる。
演技の仕方を考えて、ふらふらと実演して歩いているアニメーターが最近いなくなってきたのは嘆かわしい気もするが、自分で実験して動きを決めるからだ。表情にいたっては、アニメーターの机には立派な鏡があって、演技のたびに自分で百面相をしているものである。最近は鏡の変わりにTVが置いてあったりして、作品に入り込んでいなくても書けるものなのかと、不思議に思うたりもしてるが・・
【Saitone】”Thriller 8bit tribute mix”【Michael Jackson】
(via monkeyturn)
(via yui000aragaki)
正直に言うけどコレ5回くらい見ちゃった。





